2018年5月2日水曜日

ややこし・セクハラ・人間ごっこ

 「増長」と「助長」と「冗長」がまぎらわしい。まず「増長」と「助長」は、意味がまぎらわしい。正しい用法を辞典で調べるということをひとまずしないで話を進めるが、どちらの「長」も「調子に乗る」みたいな意味だと捉えている。それを「増す」か「助ける」かの違いだ、ということだ。だから「増長」は自動詞的で、「助長」は他動詞的だ。Aが調子に乗っているとして、「Aは増長している」とも言えるし、「Aは助長させられている」という風に言うこともできる。それでややこしい。同じ現象に対して使えて、自動か他動かの部分だけをちょっと変えれば代替可能だから困る。それに、完全に自動で増長することなんてそうそうなくて、大抵の場合は周囲による助長が原因だろうと思う。そう考えれば増長を使える場面なんてなくなるような気もするし、しかしその一方で、周囲による助長の結果こそが増長なのだ、だから逆にすべては増長に帰結するのだ、という気もする。そういうことを迷って、咄嗟のときにどちらを出せばいいのかあぐねたとき、意味は別に似ていないが、増長と助長、ふたつのちょうど中間で、音的にまぎらわしい「冗長」までもが脳裏をよぎりはじめ、困る。日常の困りごとランキングの、これが78547位。

 労働をしていたら、60代のおじさん社員が後ろからやってきて、「やってるねえ」みたいな感じで背中に手を置かれ、怖気が立った。たぶん60オーバーのおじさん的には普通のことで、ましてや男同士だし、反応するほうがおかしいのかもしれないが、思わずのけぞり、すぐに体を前に流して、手の平から分離した。自分でもびっくりするほどの拒否反応が咄嗟に出た。そして思った。セクハラって本当に嫌なものだ。別に今回のこれをセクハラというつもりはないけれど、実体験を通して、世間で騒がれているセクハラというものが、どれほど嫌なものかということがよく解った。だって僕がこれまで一生懸命に生きてきたのは、あのおじさんに背中を触られるためじゃないもの。だからあんなことは絶対に他人にやってはならない。人生全体を侮辱されたような気がした。そして思った。セクハピなんてない。なんだセクハピって。阿呆か。神経を疑うわ。

 ファルマンが母の日のプレゼントで思案している。島根のほうの母の話なので、三姉妹で協議しているらしいが、妹たちの意見により話が花方面に傾きそうだという。親ってもう大抵の物は持っているので、いろいろ考えた結果、まあ花を贈っとけばええわ、となりがちなものだ。これに対してファルマンは、「なんで花なんか贈ろうって思うんだろう。花って、臭いし、腐るし、世話しなくちゃいけないしで、なんにもいいことないじゃない」と文句を言っていて(もちろん妹たちに言うわけではない)、ああさすがポルガの母親だなあと思った。えっ、じゃあ花のどこがいいって言うの、と問われたら、それはまあ僕だって別に明確な答えは持っていないのだけれど、でもそれにしたってあんた、花は尊んどけばいいじゃない。「花=素敵」と心に書き込んで決定事項にしておけば、たぶんその分だけ生きやすいわけじゃない。俺たちそうやってちょっとずつ世の中のことインプットしてなんとかこなしていこうよ。早く人間になりたい。